〜 代燃車 木炭バス 〜


戦時中から戦後にかけて活躍した木炭バス
 戦時中はガソリンの配給がないため代燃車が使われた。木炭車は後部に「かま」(ガス発生装置)を背負い、このかまのなかに木炭を入れ点火、送風機の手動ハンドルを回して可燃ガス(一酸化炭素)を発生させるまでが第一段階。次に発生したガスを遠心分離機に送り込んで、粗いゴミや灰分を除去、さらに冷却器を通してガスの濃度を高めたうえ、ろ過器で小さなゴミや灰分を取り除き、きれいになったガスを車の屋根に取り付けられたパイプを通してキャブレターに導く。あとはガソリン車と同じで、木炭ガスと空気を混合し、電気点火でエンジンを動かす仕組み。
 冷えたかまに木炭を入れてガスを発生させるにはかなりの時間と労力が必要で、始発の2、3時間も前から準備が必要で、乗務員たちの苦労は大変だった。また木炭ガスは引火性の強く、かまのふたを開けたとたん、爆発的に炎が噴き出したり、作業中もれたガスを吸い軽い一酸化炭素中毒にかかるアクシデントも多く、管理者は安全対策と火災予防に気を配らねばならなかった。
 この木炭バスは平地では満員の客を乗せても60キロぐらいのスピードで走ったが、ガソリン車に比べて馬力が弱いので、長い坂道にかかると次第にスピードが落ち、やがてはエンストという場面も。そういうときは乗客が後押ししたり、カギのついたロープをバンパーに引っかけ引っぱってもらうなどしていた。また、走行中ガス欠を起こすこともあり、そのときは木炭を継ぎ足し、重い送風機のハンドルを回さなければならず、女子車掌には大変な重労働。このため、走行距離の長いローカル路線には助手が乗務して車掌の代わりを務めることもあった。
 この木炭車もガソリンがどんどん出回るようになってその役割を終え、昭和25年ごろには完全に姿を消し、ガソリン車、そしてディーゼル車へと進化していった。


中央バス創立50周年を記念して平成4年に復元された薪バス


次のページへ